夢里村

アー

お酒③

火曜かな……。とーたす酒場に行っていたようだ……。

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これは水曜に初めて大須のつるこうさんに行ったときだと思う。店主の南谷さんは、話に聞く分にはどんなやんちゃな方かと怯えていたけど、めちゃくちゃ良い人だった。料理がほんとうに好きな人ということがわかる人柄で、素敵だった。こぢんまりとしていて気楽なお店。

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木曜、バテリア。野菜だ。みんな酔っ払っていて楽しかった。大阪で洋食屋をやっている人が、ふらっとめしを食べに来ました と言っていて店をざわつかせていた。すごく映画好きな人が後から来て、久しぶりにユスターシュとかエイゼンシュタインの話をした。映画の配給で働いてたけど、ブラックすぎて辞めたらしい。
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金曜はイエゴリコだけど、これまた記憶なし。日々に脳が追いついていない。

と書いていたけど思い出した! いさとさんとたくさん旅行の話をした日だ。山に行くと、無音になるときがあるらしい。鳥の声さえ聞こえない中でセブンのコーヒーを飲むと言っていた。良い話を聞いた。
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こうすけさんからお呼び出しがあり、池田屋さんに。もちで海老をくるんだ揚げ出しのやつが最高においしかった。また食べたい。みんないぬにしこたま吠えられていた。
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金曜だしそのままノゾミヤさんに。知り合いのバンドのドキュメンタリーを撮ってくれという依頼を受ける。こうやっていろいろやっていけたらいいな。
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土曜、アンティークマーケットで洗濯かごを探すけど、かごは大体1万超えとかで諦める。呼ばれたマホロバさんの鯛と鶏の塩白湯ラーメンがとてもおいしかった。バーだけど、そのへんのラーメン屋よりおいしい。
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日曜、二日酔いだったけどお誘いで馬を食べに新栄の蹄さんに。その後ドナリーさん。いつ来ても素敵な落ち着いたお店。たばこ吸えるし……。
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火曜、住吉のつるこうさん。
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水曜、イエゴリコ。考古学トークが喜ばれ、嫌々やってたけど、やっぱりやるならしっかりやっとけばよかったなあ。
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でかすぎわろた

 

木曜、ノゾミヤ。急激にあやこさんの誕生日祝い。トミーさんとはSMバーの話をして、もしかしたら紹介してもらえるかもしれない。
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今日、金曜。遅い昼に久しぶりにアオサンズでバーバーバーを飲み、隈研吾を読んでから、トビーさんに。マリニエールという謎のスープと、イタリア南部の白ワイン。
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追いつかない。記録をつけるだけなのに日々がはやすぎる。追いかけるくらいがちょうどいいのか?

お酒②

月曜。キネマズのライブのあとにハニーバニーへ。魂の震える音がなっている。来るのは7.8回目だけど、初めて店主の宮地さんとたくさんお話しした。写真なし。

 

火曜。やんBARでウイスキー飲む。風をいちばんに感じられるいちばんいい席だった。隣のおじさんが店の音楽に合わせてずっと舌をこつこつ鳴らしていた。
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そのまま近くのTOBYさんに。白魚とクスクスのサラダ。初めて食べたクスクスがとてもおいしかったので今後のクスクス人生が心配になるあたり、ぼくは悲しいかなやっぱりネガティブだ。あとはポルトガルのワインとか。帰ろうとしたら紹興酒が出てきたりした。22時くらいだけど店主のトビーさんが「もうおわり!」と言って閉店にして、ふたりで外でたばこを吸った。そしたら別の店で飲んでた常連のひとたちが歩いてきてそのまま遅くまで。懐かしゲームの話になって、酔っ払ってハイスコアガールのアニメをめちゃくちゃ推してしまった。
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水曜イエゴリコ。記憶なし。
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二軒目にドゥーキーズピザに行った模様。ブルーリボンという謎の爽やかビールが飲める。
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木曜はやまびこ。清田さんにいきなりクリストファー・ウォーケン! と言われ意味がわからなくて笑った。どうやら前に来たときにクローネンバーグの話をしていて役者の名前が出てこなかったらしい。新しいバイトの人がシフト後に隣に来たので当たり障りのない会話をする。初めて話すとき、ほんとうになんでもないことを交わすわけだけど、これがなんだか気持ちが良くて何度もこういうことをしたいと思った。たけのこのてんぷら。
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金曜はTOBYでごはん食べて、そのまま常連さんたちと虎の子でひれ酒を飲み、やんBARで3時くらいまで。よく飲んだ。飲み方がきれいなひとたちだから、別れ際もさらっとしていて心に風が抜ける。
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土曜は気だるかったので近場ですまそうと思いのらやに行ったけど、ハニーバニーにAmerican Footballの1stのレコードが入ったと知って聴きたくなって、旅人食堂で腹ごしらえしてから向かった。旅人食堂で30-1グランプリを見せてもらった。全部おもしろくてすごかったけど、ジェラードンの2本目はシュールすぎたのか全く笑えなかった。ハニーバニーでのアメフトはもちろんとても良かったのだけど、チック・コリアの『Return To Forever』に頭をぶちぬかれた。飲みすぎた。帰ってまたチック・コリアを聴いた。

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サリンジャーシーモア-序章-』の後半に出てくる、感傷的な魔法のような時間、夕暮れどきに、ビー玉投げをしたエピソードにいたく心を動かされた。ちいさな奇跡の連続だ。

お酒①

木曜だったか。やまびこでゆっくり飲んでいた。知ってる人は一人いたけど間にほかの人がいたから喋らなかった。おなかすいてる? と聞かれ何も食べていなかったので頷くと、焼豚作ったからと言われ、メニューにない豚を出してくれた。煮込んであった。野菜がたくさんで嬉しい。最後の方は酔っ払ってお店の人に絡んでしまっていた。
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土曜、友達のおうちで飲んだ。知らない人が一人いたけど、いい人ですぐに打ち解けた。犬山にあるリトルワールドというテーマパークでビール早飲み選手権で優勝したことがあるらしい。予選で1リットルを10秒で、本戦で2リットルを1分30秒で飲んだらしい。こわい。ベランダで、少ししかない星を見ながらたばこを吸うのがとても気持ちいい季節だ。最後の方はほとんど覚えていない。日本酒をたくさん飲んだ。いつもおうちに呼んでくれてとても嬉しいし楽しい。
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日曜はお昼からクローネンバーグの最初期作、『ステレオ』と『クライム・オブ・ザ・フューチャー』を観た。驚くほど退屈だった。どちらもセリフや録音はなし、ステレオはナレーションだけ、クライム〜はナレーションとノイズみたいな音が入る。『ラ・ジュテ』ってよくできてるなと思った。

そのあとマナブコーヒーでコーヒーとビールを飲んでいたら、入れ代わり立ち代わり3人の知り合いとお話しした。映画の話多め。先生とか、映画を教えてくれた大人たちの話題で、自分だったら次の世代にどんな映画を勧めるかというのが印象的だった。そんなに観てないのに黒沢清とか言ってしまった。

そのあと『アネット』を観に行くまで時間があったから、学さんに近くのタコス屋に行こうと誘われ、メキシコのビールとタコスを嗜む。たばこ吸えるし安いしすごくいいお店だった。ひとりでまた行きたい。『アネット』は観れなかった。スーパーに寄ってから大城立裕『カクテル・パーティー』を読んだ。
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空の色綺麗って

仕事帰りの車の中であのちゃんのラジオ聴きながら書いている。書いてる、って書いたほうが良いと思うのにつまらない生理が邪魔して 書いている としてしまう。

豊橋に行っていたが世界の果てみたいな風景とか、空といっしょに見える川が本当に美しくて、本を掴んで草に座って眺めていたいと考える。そういう手の届くところから豊かさを取り戻したい。人と話しているとみんな大事なものを大事にしていることが伝わってきて尊敬する。26年生きていて大事なものが限りなく少ないことに不思議だなと心に来るが、どうしたらいいかわからないのでぽつぽつゆっくり思考を重ねたい。魂を自分から感じないのはそういうところだな。魂を欲しすぎて多田智満子の『魂の形について』を買った。あとはアリストテレスか。https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784480510839

今日二日酔いでたくさん大学に行かなきゃいけない日でつらかったがなんとかやりきった。なぜ平日でも毎回記憶なくして吐くまで飲んでしまうんだろう。ちょっとおかしい気がしてきた。いつもなぜそこまで飲むのか? 快楽に乏しいのかな。でも最近おもしろい映画たくさん観れてる。ドライヤーの『ゲアトルーズ』超絶だった。反復や視線や立つこと/座ることとかの映画に大事なもののお手本のような作品のはずなのに、どこまでも異質だし深すぎる場所までの沈潜がある。愛についてぼくも死ぬまで考えていきたいと思えて良かった。まだ生きれるな。濱口竜介『偶然と想像』も良かった。1話目はアクションとカメラの関係で「想像」を演出していたのが格好良かった。2話目はオチが上手い。物語にその後なんてないけど、もしあるとすればあんな感じか。3話目、フィクションの多重性を撮ってしまうということ。というか、演技の受動性? 映画の可能性についての映画だったな。

三四郎のオールナイトニッポン0 なかやまきんに君ゲスト回 言語空間の規定と倒錯、ギャグの反射面としての筋肉

https://youtu.be/exq47z-fnrc

 

三四郎オールナイトニッポン0スペシャルウィーク、毎年恒例だというなかやまきんに君がゲストの回。ナンセンスの塊といえる素晴らしいパフォーマンスが繰り広げられたが、その一方で突き詰められたきんに君のギャグの純粋性、反復性により、そこには目を瞠る構造が結晶化していった。リアルタイムの、その現象の生成を目の当たりにして感銘を受け、この論を始める。

 

1.透明な言語

オープニングトークののち、CMが明けきんに君が登場する。きんに君は進行開始の合図である「キュー」を独自の解釈で発話し、そこからトークを押し進めようとする。三四郎が交感可能-対話的な話題を展開しようとするのに対し、きんに君は「キュー」を数字の「9」に変奏させ随所にねじ込み、トークを脱臼/反復させていく。その後「キュー」は純粋な音声言語として使用され、無意味で透明な記号、宙ぶらりんのギャグとしての様相が提示される。ここでは「キュー」はきんに君の恣意的で無軌道な音でしかなく、なんの色も匂いも示さない。会話、問答、コミュニケーションを破壊するための道具にも思えるそれが雷のように突如きんに君から発せられるとき、パーソナリティである三四郎にそのどうしようもなさ(既存のトーク番組のルールから完全に逸脱しており対応できない)とシュールさから笑いが誘爆される(そしてもちろんそれはリスナーである我々も例外ではない)。きんに君の繰り出す「キュー」が無慈悲に暴発するフィールドへと放り込まれ、番組冒頭では無秩序が横溢しているかのようである。しかしトーク(?)が進行していくにつれ、ある構造が生まれていく。

 

2.破壊と創造(の助走のため)の「キュー」

きんに君は三四郎に「「キュー」って言ったよね?」と問われるが頑なに「言っていない、自覚がない」と否定する。わざわざ指摘するまでもないが、きんに君がキューと発したことは誰しもに自明であるのにそれを認めない、というあからさまな嘘をついているおかしみをネタにしているわけだ(ウケをとるための背景をクソ真面目に言語化することはある種滑稽で興醒めする営為かもしれないが、ここでは私はこういった行為に真摯に向き合いたいと考えている)。ちなみにきんに君の持ちギャグ「パワー」も登場するが、これはすぐに「言った」と認める。きんに君「キュー」、三四郎「言った」、きんに君「え? 言ってない」といったやり取りが繰り返され、ここでもきんに君が主張している限りにおいて、言葉の透明性が確保されているといえるだろう。

相田によって話題は突如大ヒット中の韓国ドラマ『イカゲーム』に移る。3人が『イカゲーム』の劇中で行われるゲームの中で好きなものを挙げるが、その際3人同時に発表するという展開に。そこできんに君は明らかにキューと言っているが、三四郎には「だるまさんがころんだと言った」と主張する。きんに君の中では、キューという発声は初めから「だるまさんがころんだ」だったという解釈だ。つまり、言っていないはずのことを言っている(ということになっている)。これが本論の肝である。きんに君は①突然無意味に思える言葉を発して会話の場を破壊し、②事後的に意味の通る言葉を発したことにするという恣意的な秩序を作り上げる、という行為をまかり通そうとしている。この構造が更に深化していくのは、きんに君が『イカゲーム』を見たのか見ていないのかを追求するシーンだ。三四郎から、『イカゲーム』を見たことがなく知ったかぶりをしていると言われたきんに君は、「見ました」と言えと強要される。それを彼は、例えば「みあしは……」のように非常に曖昧で掴めない発話により躱していく。見た、とはっきり言ってしまえば、見ていないことが露見した際に嘘つきのレッテルを貼られ、見ていないと答えれば今まで知ったかぶりをしていたことになってしまう。そのような不名誉を回避するため、曖昧模糊な言葉で返答するのだ。言ったのか、言っていないのか、そのどちらでもないのか。きんに君の発語は、まるで生きているのか死んでいるのかわからないシュレディンガーの猫のようなゆらぎの中にある。

 

3.構築、簒奪、対立、そしてさらなる構築

トーク(?)は進み、オリンピックの話題に。好きな卓球選手を同時に発表しよう、と飽きもせず『イカゲーム』のときと同じことを提案する3人。これではあのどうしようもない言葉の幽霊が通り過ぎるだけである。しかし違った。きんに君は真っ当にスポーツ選手の名前を挙げ、三四郎の2人は「キュー」と言うのである。これは革命的な事件である。なぜなら、無軌道で自分勝手な破壊者と思われていたきんに君の言語空間に、三四郎も飛び込んでいったのだ。そこからは、「キュー」といつ言っても良い、それは発話されてもなかったことにできる、事後的にほかの言語として補完できる、というきんに君の(独自)ルールを、三四郎も獲得するのだ。または、きんに君の振り回していた言語という武器を三四郎が奪ってしまった、と言い換えてもいい(きんに君は三四郎のキューに動揺を見せる。自らが支配者として君臨するために構築した世界の条理を理解され利用されてしまったのだ)。ここにシュールで暴力的で超おもしろい言語ルールが規定され、そこで3人が暴れまわる。ちなみにきんに君は「朝の時間帯に「元気です!」と言ってしまって(放送倫理的に)大丈夫ですか」と確認をとったりしている。全く意味がわからないし時間帯は朝でもないが、彼はやはり「言う(ことができる)」「言わない」という言葉の持つ暴力性、規則性にとても自覚的なのである。

その後リスナーからのリアクションメールが読まれていくが、きんに君はここでも言語(空間)の改変を行っていく。彼がまず行ったのは、「最近急に乾燥してきて秋の空」というメールの文面にフリーライドしての俳句の作成だ。俳句こそルールに縛られた言語遊びであり芸術である。きんに君の作り上げた言語空間がどんなものか伺い知れる一幕である。もはやきんに君は「キュー」の一語によって芸術を創造しているに等しいのかもしれない。この、リスナーからのメールというアイテムに注目してみよう。きんに君がキューと言った場合、その発話は明らかである。だるまさんがころんだ と言っていないのも明らかである。ではメールはどうか。これは、読まれるまで何が書いてあるかわからないもの、である。つまり、「読まれて初めて視聴者には何が書いてあるかわかる」のが、リスナーからのメールなのだ。さらに発展させれば、「きんに君が読めばそれが書いてあることになる」のである。三四郎が否定しているから真偽がわからなくなるが、それがなければRNムニムニムニエルが俳句を送ってきていることになってしまうのだ。これが、ラジオにおけるリスナーの言葉の生成の原理である。それをきんに君は悪用してまた暴れ放題しているのである。

 

4.そして三四郎へ回帰する

ここまで来て、何か既視感のようなものを感じないだろうか。私ははっきりと結びつけることができた。それは今回における三四郎のオープニングトークである。小宮が相田の(架空の)真似をして好き勝手に発言するという、三四郎ANN0おなじみのあれである。余談だが、先回の、ブルーインパルスに乗ってGに耐えられず相田のE判定の肝臓が体外に飛び出している最中に小宮はやきそばを食べながらスモークで漫画『DEATH NOTE』の表紙を描くくだりで腹がよじれるほど爆笑してしまった。閑話休題。今回は渋谷大好きな相田が渋谷の色々な場所に行きたいと(小宮が)こぼす、というものであった。象徴的なのは、相田の真似をしているという設定にも拘わらず小宮が「相田も言ってたし……」という発話をする点である。相田のツッコミにもあるが、この小宮は一体誰を模倣しているのか。相田なのか、ほかの第三者なのか。そこには一人称のゆらぎ、発話自体の夢幻性ともいえるものの発露がある。「キュー」というギャグの奪い合い、リスナーのメールという不確かなエクリチュールを再現前させること。きんに君の登場によって生まれた言語空間の磁場は、発語を不明瞭な霧の中に覆い隠した。めくるめく言語のゆらめきと拡散。そしてそれは、三四郎のラジオ固有のクリシェに乱反射して生み出されたものだったのかもしれない。なんとも刺激的で不可思議なトーク番組であった。

 

「お笑い」を論じるにあたってベルクソン『笑い』を始めとして、プラトンやカント、木村覚『笑いの哲学』等参照できれば……と思いますがそんな胆力もなく……。先延ばしにして読まなさそうだけど、自戒と備忘を込めて。

 

 

深夜ラジオ『三四郎のオールナイトニッポン0(ZERO)』の魅力とは? | 無料のアプリでラジオを聴こう! | radiko news(ラジコニュース)

 

 

土日月と岐阜のキャンプ場でやるフェスのお手伝いをしていた。

土曜日朝、早起きしてごはんの買い出しに。近所の安いスーパーには老人たちが開店前に列を成すことを知った。開店まで時間があったので友達とドンキへ。見たことない形状のペットボトルのコーヒーを買った。スーパーで3カゴ分くらいめちゃくちゃに買っても1万円くらいにしかならなかった。レンタカーに食料を積んで出発。途中出演者の一人を駅でピックアップ。岐阜まで色んなかっこいい音楽を聴きながら現地に向かった。Squidというイギリスのポストパンクバンドがめちゃくちゃいかしてた。着いたらBBQの準備をしたり会場や受付のタープを張ったり。音出しで近所の飛騨牛がたくさん集まってきた。牛も音楽を聴くんだね。当日は受付担当と花火担当だったから花火の試し打ちをしたらちょうどそのタイミングでたまたま音が切れて、スピーカーが飛んだんじゃないかとギターの人とPAの人が焦っていてかなり盛り上がった。17時過ぎくらいから決起会の乾杯とBBQ。めちゃくちゃ飲んだのにまだ20時とかで時間の流れがおかしかった。車がいっしょだった友達とキャンプ場を散歩したけど、すぐに行き止まりになって「こんなもんでいいか」と一瞬でみんなのところに戻ってそれがなんだか良かった。星がたくさん見えた。2時くらいにはほとんどみんなキャビンに戻っていたけど、主催のバンドのドラムの人がスマホがないとBBQ場所にふらふら来て、顔から地面に倒れてそのまま寝た。顔から地面に倒れてそのまま寝ることができるんだと思って感動した。倒れたときに口を切って肩に血がたくさんついていた。スマホは普通にキャビンで充電されていたらしい。

2日目、フェス当日。朝飯当番だったから7時に起きて準備。まだ酔っ払っていたからテンションが高くてきもかったと思う。珈琲屋のひとが珈琲を淹れてくれておいしかった。そこからまた会場のセッティングをしたり花火の打ち合わせをしたり。昼に酔いが冷めて二日酔いになってキャビンで休んだりした。昼過ぎには開場して受付。受付があったからあんまりライブは見れなかったけど音は聞こえてた。みんなかっこよかった。カメラマンのひと(この人はほんとに誰よりもがんばって色んな準備をしてくれた。フジロックの公式カメラマンだったりしてすごいひと)にチャッカマンを借りに行ったらめちゃくちゃ泣いていてびびって大丈夫ですかと言ったら、「なんか嬉しくて……」と言っていた。泣けるほどがんばって、それで素晴らしいフェスを作り上げる一員ということに誇りをもっていて、すごいと思った。あっという間に夜になって、トリのバンドが終わって花火をあげた。30発くらいの花火をあげるのが大変だったから何も見れなかった。次の日の朝は10時くらいに帰らないといけなかったから撤収作業をがんばって、打ち上げ。疲れていてあんまりはしゃげなかった。それでも朝ごはんの準備を手伝ったりしながら3時くらいに寝た。

3日目、撤収。とても楽しい数日だった。

その日は別件で飲む約束があって、完全に寝不足だったから少しお昼寝して飲みに行った。そしたらバグって4時くらいまで飲んでしまってそこから仕事に行った。ぼくもまだ少し元気にやれるなと思った。


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息あんまできない

ピザ屋の窓辺の席でハイボールを飲みながら本を読んでいた。だんだん暗くなる一番いい時間帯だった。でも曙も一番いいな? 一番ってたくさんある。木がたくさんある大通りだから風が見えて、いつまでもぼうっとできていた。街頭が灯る瞬間はいつも感動的だ。あれは人間が夜を発明したことだ。自然が人間より上位だとなんとなく思っていたけど、建築とかアートを見ているとそうでもないなと感じるし、そもそも人間や自然のどっちがすごいとかそういう話ではないという当たり前のことに思い当たる。ガス燈に火をいれる瞬間を見てみたかった。オリヴェイラの『Um Século de Energia』とか、スックスドルフの『街の人たち』を観て強くそう願った。いまスックスドルフで検索をしたら『二人だけの白い雪』とかいうめちゃくちゃ良いタイトルの映画を発見した。

人に呼ばれたので店を出て自転車を漕いでいると、走る少年とすれ違う。純粋な走りだ。5分後にまた電車は来るのにいま来ているそれに卑しく間に合わせようとする走りとは全く違う。走るために走っている感じ。あれには何も敵わない。目的性のなさだけがいつも美しい。あのように走ることができない諦念や悲しみを乗り越えて明日も早起きをがんばる。なんの目的もなく薄暗い中鐘の鳴るあの時間に目覚めることができたらどんなに……。

 

今日は少し手を伸ばしたくなるさらさらの雨が降っていたな。
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